えびまよシャンプーブログ

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ゆとり世代批判への反論

こんにちは。えびまよシャンプーです。今回は社会派のテーマでいきたいと思います。

時代背景について

まず、時代の流れとして、最近ようやく働き方改革とかが叫ばれ始めましたが、終業時間を決めるだけで、具体的な策はほぼ無し。多くの会社で無駄な業務は存在するのに、これに対する根本的な対策は全くとられていません。
 
また、新興国はめきめきと実力をつけてきているのに、日本は高度経済成長やバブルの感覚を完全にひきづったまま停滞しています。かつての日本社会は勤勉な人間が多く、この人たちが日本の技術力に対する信頼性に貢献してきたのは事実ですが。(もちろん、公害等により多くの人々が犠牲になったことは忘れてはいけません)高度経済成長期の先輩たちは一生懸命働いてきましたが、その影を追うだけではもはや成長できません。周りの国はどんどん日本の真似をするわけですから、日本も新たな価値を見出していかなければいけないと思うのです。そのためには、今までパソコンが無い時代に行ってきた人海戦術的な風習をまるまる継承し、無駄に労働時間を増やし働きまくった上で、謎の達成感に浸るのはもう終わりにしなければなりません。

ゆとり世代の苦悩

もともとゆとり教育とは従来の詰め込み教育知識の偏重から脱却し、思考力の強化の重視等を目指すもので、考え方自体は悪くないと思います。しかし、これは基礎あっての応用ですから、やはりある程度膨大な量の知識の学習を若いうちにすることは必須です。そもそも詰め込みをしなければ受験には勝てません。結局合格者を多く輩出する予備校はしっかり詰め込み教育を徹底していました。このように、私は今までのゆとり教育を肯定するわけでもありません
 
また、ゆとり世代がよく言われるのは、あまり仕事量をこなさずにさっさと帰ったり、飲み会に行かなかったりといった行動が挙げられますが、これって悪いことなのでしょうか?さっさと帰ってゲームとか合コンをやるならいまいちだと思いますが、終業後に全く別ジャンルの勉強をしたり、他業種の人と交流したり、会社とは別のビジネスを展開したりするのは大いに意味があると思います。生産性の無い残業をしたり無駄な飲み会を繰り広げるのとは雲泥の差。
 
自分の専門をつきつめることは大事ですが、1つの分野だけで生きていくのは非常に難しくなってきています。現に、専門性の高い現役のスポーツ選手でさえ、畑違いのビジネスを展開していたりします。
自分の職場が好きで、残業をしたい人もいると思います。本当に会社のプラスになるような、新しい発想でしたらやってみるのも良いと思いますが、根性だとか気合いという信念の元に必要以上にやる残業はどうかと思います。あと、ベテランになると職場の勝手が分かっているから居心地が良くなっている可能性もあります。現在の職務では能力が頭打ちになり、これ以上伸びないのに、別ジャンルに挑戦したがらず、極端な話新しい挑戦から「逃げている」と言えなくもありません。自分が既に順応していて、結果が最初から見えているような仕事は楽なのです。もちろん、果敢に新しい環境に挑戦する優秀なベテランの方もいますが、数は限られています。
 
自己完結的に自分の仕事を必要以上につきつめるのはいいですが、若手にこの考えを押し付ける会社はヤバいです。最悪のケースはうちの仕事残業多いよー?大変だよー?」などと言ってくる先輩がいる会社です。効率の向上を目指しているのであれば、むしろ残業が多いことを恥じるべきです。それなのにこういうセリフが出てくるのは、ちょっと問題ですよね。
 
もちろん、新人が思っているより、仕事全体を見直し仕事量を減らすことは非常に大変なことですが、社員が残業文化にどっぷり浸かり、抜け出そうとする意欲すら奪われてしまっているような職場は辞めた方が良いかもしれません。また、このような状態が続いているもう1つの原因として自分たちがめちゃくちゃ残業してきたから、後輩に同じ苦労を味合わせたい」という思考回路です。正直この気持ちは全く分からないわけでもありません。。自分たちはこんなに苦労してきたのに、若いやつがのうのうと生きてるのは許せないという感情があるのかもしれませんが、これは極めて悪しき慣習です。一部の体育会系の部活などにある後輩への嫌がらせに近い部分があります。

悪しき風習を断ち切るべき!

しかし、悪しき風習は誰かが断ち切らなければなりません。上記のような嫌がらせを積極的に断ち切ることのできる人は本当に優秀な人間だと思います。私も断ち切れるような行動を心がけたいと思います。
 
ゆとり教育はあたかも失敗だったかのように社会全体では思われていますが、果たして完全に失敗だったのでしょうか?単一の能力ではなく、二刀流、三刀流の人間をめざしたり、長時間労働を是正するきっかけになったりする可能性もあったのではないか、と私は思います。
教育の現場はゆとり教育を実行にうつしましたが、教育を受けた若者たちの辿り着いた会社では彼らを受け入れる体制が整っておらず、彼らのことを理解することができません。これでは、両者に軋轢が生じるのも当然の結果です。
 
また、教育において本当に必要なものも削減してしまったと言えます。いくら考える力をつけようとしても、基礎的な知識が無ければハイレベルな舞台では戦えません一流のスポーツ選手でもキャッチボールやパス練習を徹底的にやって、ようやく試合で活躍できるのに、数学の公式や、英語の例文の暗記を徹底せずに難問に挑戦するのはちょっと無理がありますよね。
また、ゆとり教育により生じた余剰な時間を有意義に過ごせたのもごくわずかな人間だと思います。時間が空けば、現代において子どもたちには不健康・不健全な遊びがいっぱい転がっていますから、なかなか有意義には過ごせません。
また、偏差値等による順位付けをしないという方向性にも危うさを感じます。勉強もスポーツも芸術も自分を認めてもらうために頑張るという気持ちが大きなモチベーションになるわけですから、自分自身の頑張りを数値で表すことは必要です。(私たちもお金が貰えるから仕事をやっていますし)
モチベーションが上がればゆとり教育により生じた余剰な時間に自分の好きな分野に没頭することができると思うのです。1番恐いのは頑張っても頑張らなくても変わらないから、うまく最低限のことだけやって、器用に生きるという人間ばかりになってしまうことです。何かに没頭した経験が無いと、大きな仕事を任され壁にぶち当たった時に、何とか努力して乗り越えるということが出来ない恐れがあります。
 
学校は非常に多くの時間を過ごす場所ですし、日本における過重労働のような状況を考えると、そのあり方を見直すのは必須だと思います。
ゆとり教育は失敗だった」とばっさり切り捨てるのでは無く、社会は「どのようにすれば成功したのか」や新人を「どのように受け入れれば良いか」を主体的に考えなければうまくいくはずも無いと思います。しかし、社会全体はゆとり教育に対して受け身になり、これを否定しています。私は、良い面も悪い面もあるこの教育に対して主体的に「教育が間違っているならどこをどう国は変えるべきか?」や「既に教育された若者をどう受け入れるべきか」ということを考えようともしない日本の文化に問題があると思うのです。